Yogaと取捨選択とゆるし

「捨てる」のは、循環の為。世の中は循環していて、私達の体の中も循環している。
これはyogaが教えてくれました。

私は、モノを「捨てる」事ができる人です。

そう言うと、最近では「エラ〜い」なんて言われたりもしますが(特に女性から)、逆に「モノを大切にしない人」と思われる事もあります(特に年配の方から)。

言ってしまえば、偉くもなんとも無い、元々の片付け好きが習慣になり、それが更に効率の良い方向に向かっただけです。

しかし、「モノを大切にしない」と思われては残念です。私はまだまだ、ミニマリストと呼べる程ではありませんが、自分で把握でき、メンテナンスも喜んで出来るモノの所有量を目指しています。そして、必要の無くなったモノや、間違って買ってしまい結果肥やしになってしまった洋服などにサヨナラする際には、深く反省しています。自分の思慮の浅さに恥ずかしく、泣きそうになる事もあります。

それでも、私は今日も何か手にしては、「これは私に必要?手放すべき?」と自問自答しています。

それは全て「循環」の為。
世の中に、留まっているものなんて一つもない。全ては流動している。とyogaの経典は教えてくれます。人の心も、これだと思っていた信念でさえ、日々磨かれ、変化していく。環境も変わります。「一カ月前にこう言ったじゃない!」は通用しないのです。残念ながら。

その波に巧く乗れないと、すごく苦しくなります。変化は誰にでも訪れるのに、それを否定してしまうとしがみついて意地でも離れたくなくなってしまう。
例えば遺品の整理にしても、着られなくなった服にしても、いつ戴いたか分からない贈答品にしても。

新しい風が必要です。yogaで言えば新しい空気。新しいエネルギー。

モノは何も言わないけれど、それを見ている自分とモノは繋がっています。よくあなたの机の上はあなたの心を映している、なんて言われているけど、心と体の関係と本当に同じで完全に一心同体。切り離しては考えられない、抗えない事実です。

人間だから失敗してもしょうがないのです

失敗してしまった事にわざわざ自分で突っ込みたくは無いのが普通です。
でも私は、この「失敗した自分」をある意味許せるようになった事で、前に進めるようになりました。

買ったけど全然着ない服があったとして、失敗に目を瞑る為に、手放す罪悪感に触れない為に、その服をとりあえず仕舞っておく…。でも買い物に行けば違う服に目がいく…。
なんかおかしいな、と思った時に「失敗した自分」と一度向き合って、その失敗を学びと捉える。

そうすれば本当に役に立つモノ、そのモノの一生を完うさせられるモノに、必ず出会える筈です。

さ、今日も窓を開けて空気を入れます。